川島如恵留が披露したSexyZoneの「名脇役」から紐解くジャニーズにおけるジェンダー観について

前提として私はSexyZoneのファンでもあります。

 

 

 

SexyZoneのアルバムのXYZ=repaintingに収録されている「名脇役」という曲があります。

 


シングルではなくアルバムのうちの1曲です。

知っている人は知っているというレベルの認知度かと思います。

先日のサマパラ2020で川島如恵留さんが披露して話題になった曲です。

SNS上では様々な見解や解釈が見受けられ、楽しく拝見していました。

 


と、いうわけで遅ればせながら私もやりたくなったのでやります。

 

 

 

 


たまにSNSなどで「SexyZoneはジェンダー観として1つ先に進んでいる」という趣旨のものを見かけることがあります。

ですが私は少し違うのかなと個人的に思っています。

私としては「メンバー最年少のマリウス葉ジェンダー観が進んでいる」と感じています。

 


彼は育った環境なのか親御さんの教えなのか女性に対する観点がいわゆる「男尊女卑の観念がいまだのこる現代」とは大きく違うようです。

 


雑誌のインタビューで女子力に触れたものがありました。

彼が語っていたものは食事がつくれるから、家事ができるから女子力があるというのは違う、そんなことは男性でもできて普通であるという内容だったかと思います。

私は10代そこそこでしっかりしてるんだなという感想でした。

 


他にもリハーサル風景を撮影した記事で「亭主関白なんて〇喰らえ」と英語で書いてあるシャツを着ていました。英語がわかる彼が全くの考えなしに着るとは考えにくいので何らかの意志を持って着ていたのでしょう。

 


彼は自分が広く発信できる立場だからジェンダー論についても積極的に発言したいとも言っているので、社会にもまれる日本人女性としては期待しかないなと常々思っています。

 


(脱線するのですが、彼女へあげたいプレゼントは?というインタビューでは他のメンバーが花やアクセサリーを挙げる中「女友達との旅行」と挙げており私はたまげました。10代ですよ?サバよんでるか人生3周目でしょ?となりました。)

 


そのような彼がいるグループだからこそジェンダー観について1つ進んでいるというお言葉がいただけるのかなというのが私の考えです。

 

 

 

さて、前置きが長くなりましたが今回この曲を紐解いてジャニーズにおけるジェンダー観について語るには避けて通れないのでさらり(?)と触れました。

 

 

 

 


今回サマパラ2020における、通称のえパラで披露されたこの「名脇役

 


私は歌詞に特徴があると思いました。はじめて聞いた時から何か引っかかっていました。

 


以下、あくまで私の見解です。

日本は言論の自由が認められています。叩かないでください。

死ぬほど言い訳した上で進みます。

 

 

 

 

 

 

①まず一人称は「僕」

 


②「女の子」というワードはでてくるが、あくまで一般論のひとつの例として感じられる歌詞

 


③相手の友達ランキングなら1位であろう「僕」

 


④何かしらの間違いでもいいから好きになってほしいとまで思い詰めた表現

 


⑤友達という肩書きをもってしてギリギリそばにいられる関係

 

 

 

 

 

 

 


まず主人公は男性なのでしょう。一人称も自由な世の中になりつつありますがここは男性と仮定します。

 


男女の友情がアリかナシかというのは永久に語られるテーマなのかもしれませんが、男女においての友達ランキングが1位ってそれはなかなか珍しいのではないのかと私は思います。(個人の見解です。)

 


現代においてLGBTは昔に比べたら寛容にはなっているのでしょうが、全部が全部オープンかつフリーダムと言うには難しいのかなという世の中。

 


そのことを踏まえた上で、主人公の「僕」が懸想した相手が友人の男性だったとするならば話の辻褄というか物語のピースがはまる気がしたのです。

 


困ってもいい、苦しくてもいい、それでもいいから優しくしてほしい。そばにいさせてほしい。

 


めちゃくちゃ苦しい胸の内をさらけ出すような内容。

 


曲調も手伝ってとても切なくなる曲です。

 


ですが私、SexyZoneのファンのお友達がいません。お話したこと皆無。なのでこの話は自分の中で自己完結していました。大好きな曲だなと繰り返して聞いているくらいの話でした。

 

 

 

 


そんな私は諸事情から如恵留くんに興味をもちサマパラ2020の配信を見ておりました。その後しっかり沼落ちするのですがその話は以前長々と書いたので今回は割愛します。

 


まず、「名脇役」のイントロが流れた瞬間にカフェにいたにもかかわらず「ギャッ!」と叫びそうになりました。(ギリギリ叫んでいません。行きつけカフェにおける人権は守られました。)

 


彼はあくまで歌唱に徹し、伴奏とダンスにおいては少年忍者にお任せしていました。

 


主人公の「僕」を少年忍者の檜山くんが演じ、物語をその場で展開しているような内容でした。

 


彼が対峙しているのは過去の自分か、想いをよせる相手か。

台詞がなく彼の演技のみで展開されていくので「受け取り手の解釈にお任せします」という如恵留くんからのメッセージのように私は受け取りました。

 


私はすでに先述の内容を持ってしてパフォーマンスを見ていました。受け取り方は自由ですから。

 

 

そして数日後に更新されたのえまる。

 


少しだけ答え合わせをしてもらえたように感じました。

 


誰が誰を好きになってもいい。

「好き」を胸を張って言えばいい。

「好き」をだれかに笑われたりされることなんてなくなればいい。

そしてみんなが生きやすい世界になればいい。

 


如恵留くん、あなたの考えの一部だけでも見せてくれてありがとう。

 


あなたやマリウスみたいな人がいて、発信してくれることで救われる人はきっといる。

 


まだまだ難しいジェンダー観、日本は進んでいるとはあまり言えない状況の中です。

 


でもあなた達が発信してくれることで何かが変わるかもしれない。

 


私はそれを期待したい。

 


私は綺麗事でもなんでもなく人を否定することや人が好きだというものを否定することが苦手です。

苦手というか嫌いです。

 


耳に入るのも苦手。

 


だからこそ期待したいのです。

 


ジャニーズ事務所という大きな背景をもつ立場にいる人の声に。

 


如恵留くん、マリウスくん。

 


よろしくお願いします。